2011,8,13
ここのところ猛暑で池の水温は30℃に達し,鯉たちの食欲は落ちてきた
池の水の透明度が増して,泳ぐ姿が良く見られるのは嬉しい限りだ
激しく乳頭腫に罹ってしまった鯉も綺麗に落ち,見栄えが良くなった
高水温でで飼育すれば,再発しないとも言われているので期待したい
FRPのWhiteTigerV2歳の成長遅れ組みの変化を撮りたく,6尾ほど掬ってみた
残念ながら,1尾口の奇形が見つかった
白地はさすがに素晴らしい。水温が下がってきたときの墨の回復が楽しみ
鱗を飛ばした鯉がいたので,当分は掬っての写真撮影はしない予定
@  A
B口が奇形でした(ToT) C

D E CDEはいい線行ってませんか?

2011,8,15
今年借りた野池のグーグルアースからの写真です
野池1には50cm以上の鯉を野池2には2歳を入れました
8月20日に選別の手伝いを兼ねて成長の様子を見てきます


2011,8,28
星野さんの管理する野池は大小合わせて23面以上ある。今回確認できた23面以外に,画面に右上奥に
7面管理している。5月過ぎて,突然権太郎さんが貸してくれると言ってきたので,慌てて稚魚を用意したようだ。

今回預けた鯉の様子を見ながら選別のお手伝いをした(20,21日)
餌を与える時間になると足音でよってくるようだが,それ以外の時間では,餌を与えても姿を見せなかった。
野池1,2とも生きていることは確認できた。10月8,9,10日の池揚げに期待したい。
今回1面葡萄衣(親は五色の血が混じっている)を個人的に採っている。といっても,産卵から,管理は全て星野さんだが(^_^;)
ここを今回2回目の選別をした。かなり厳しく選別して,頭周り13尾を携帯カメラで撮ってみた。
  

2011,8,29
母校の小学校の池に8尾放した 教頭も校長も知っている方だったので
受け入れ大歓迎だった 以前に放した鯉もかろうじて生きていた,ガリガリになって(ToT)
(大日紅白,オレンジ黄金,青柳・神畑紅白,羽白,金黄写り,緋写り,白写り)
そして残ったのが
昭和5,羽白1,ドイツ落ち葉1,落ち葉1,白写り3,丹頂五色1,孔雀1,の計13尾
持っていたった8尾もそうだったが,イカリムシがついていたので薬を撒いた。なかなか収まらない。
外池は期待できないがガレージのFRPの白写りは順調(11尾) 関係ないが青めだかの仔の中に黒めだか出現
  

2011,9,22
17:00 柚井さんから携帯に連絡が入り
「21日午後 杉浦さんが亡くなりました」と・・・
2006年脳梗塞で倒れ,リハビリ中と思っていました
現に今年の5月1日には「小さな鯉屋さん原田店」において行われた
白写り品評会に審査員としていらっしゃり
私の鯉を全体総合優勝次席に選んでくださったのは杉浦先生でした(日記No53参照)
詳しい病名はわかりませんが,柚井さんの話に「モルヒネ」を使った延命措置をとらなかった・・・とあったので
たぶん癌ではないでしょうか 
最期を看取ったのは,原田御夫妻だそうです 苦しまずに最期まで役者として旅立たれたそうです・・・合掌

原田さんは杉浦直樹杯という先生1人審査の品評会を平成13年から行っており(たぶん・・・)
私は第3回で直樹賞をいただき,先生と記念写真を撮りました(祝直樹賞

この時初めて柚井さんにもお会いし,杉浦直樹杯がある度に少しずつお話もできるようになりました
平成18年の第6回旭日小綬章 受章記念杉浦直樹杯では柚井さんから白写りをいただきました
そして今年の白写り品評会には,柚井さんがわざわざ杉浦さんのマンションまでお迎えに行かれたそうです

俳優としてまた錦鯉愛好家としての杉浦直樹の御逝去を衷心よりお悔やみ申し上げます。
なお,葬儀は近親者のみで24日に行われるそうです。

2011,9,24
私の友人が池に「湧清水」を設置したいということで
小さな鯉屋さん原田さんにお願いして
中古を取り付けてもらった
取り付け工事をしながら,杉浦さんの話をした

22日にも書いたが
原田さんは亡くなる2日前に杉浦さんの自宅お見舞いに伺い
葬儀の祭壇の話になったそうだ
「リンドウと桔梗で飾ってくれ」と頼まれ死ぬ前に見せてくれと頼まれ
大量のリンドウと桔梗だ飾った祭壇を見せたら喜んだそうだ
そして亡くなる当日お見舞いに行ったが台風で帰れなくなり
「今日は泊めてもらうかもしれない」と話すと大変喜んだそうだ
杉浦さん自身が延命治療を拒否したので
入籍していた奥さんのひとみさんと原田御夫妻が見守る中
タンの吸引も拒否した杉浦さんは息を引き取ったそうだ
看護師だった原田さんの奥さんが心臓の止まるのを確認し死水を含ませ
担当の医師を呼んで死亡を確認したそうだ

8月に癌が見つかり体のいたるところに転移しており
特に脳に転移した癌の進行が早く見る見る痩せて行ったそうだ
放射線治療の甲斐もなく,ほとんど延命治療もせずに
あっという間に天国へ召されてしまった

午後1時過ぎ作業をしながら原田さんが
「先生 天国に昇って言っちゃたな・・・奥さんには『先生は俳優だから白装束は似合わないから
スーツに帽子をかぶせて送ってあげたら』て話したんだ」
「午前中柚井さんから電話があって『スーツ姿で帽子は横においてあったよ。鯉のタオルがかけてあった』って
連絡があったんだ」
ポツリポツリ話すその様子は,30年近く錦鯉でお付き合いしてきただけあって
とても寂しそうでした

ちなみに,とこぞのスポーツ紙に杉浦さんの最後の言葉として言ったことは
原田さんも柚井さんも否定していました

さてここまで書いて原田さんや柚井さんに迷惑をかけたくないので
私の書いたことは,お二人の話したことを私の記憶の中から引っ張り出して書きました
お二人の述べたことと食い違うこともあると思います そこは,ご容赦ください

とにかく杉浦直樹という大俳優はわたしたちにとっては
非常に気さくで,人間味のある方だったと言うことです
今頃は新潟の空の上から野池を眺めて池揚げを楽しみにしているのかな

そうそう,鱗光の熊野さんが退社したそうです
ずっと杉浦さんの記事を担当していたのに・・・
柚井さんが熊野さんに
「杉浦さんの追悼記事書いてよ」と頼んだそうです
実現するといいですね

23日のNHKの夜9時のニュースに
杉浦さんの死を偲んで柚井さんが取材されていました
事前に柚井さんから電話をいただいていたので
録画できるように準備して待っていました
柚井さんは5月1日行われた小さな鯉屋さん原田店の白写り品評会の記事をNHKに提供してありました
ちなみに,あの写真は私のカメラで私が取ったものです
こんな時に不謹慎ですが<m(__)m>
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送